2008/04/23

死刑は廃止するべきか

ついに光市母子殺害事件の判決が下され、当時18歳であった加害者少年の死刑が確定した。報道では、死刑制度の存廃と未成年の保護という観点から行われているようだが、自らの犯した罪を法によって裁かれ罰を受けなければならないのは明らかで、そういう議論とは切り離して考えるべきであろう。それについては、被害者の夫である本村洋さんも同じ見解のようで、罪を償うことと更正の可能性があるかどうかは別だと言っていたようだ。
こういう事件が起きると、自己満足に過ぎない博愛主義という妄想に取り付かれた死刑廃止論者が呼ばれもしないのに登場してきて、世界の流れは死刑廃止に向かっているのだから、日本も死刑を廃止すべきで判決として適用すべきでは無いなどと叫び始めるのだが、それは司法制度全体を見直す中で行われるべきであって、個々の案件を取り上げて鬼の首でも取ったかのように興奮する姿を見ると吐き気がしてくる。
そもそも、日本の司法制度は、刑期を終えて刑務所から出てきた元犯罪者は、事件を起こした事を反省して善良な市民として更正を果たしているという前提でなりたっているが、このような凶悪事件の場合に加害者の更正だけを求めるのは大きな間違いで、被害者の心情をどうやって救済していくのか、ということを中心に議論をすべきであろう。殺人犯が10年程度の刑期の中で更正を果たしたとして何の制裁を受けることもなく大手を振って社会に復帰した時、殺害された被害者の家族はなぜこのような悪辣な人物をご丁寧に更正させてあげてまで社会に復帰させなければならないのか、大きく憤りを感じるのは当然だ。
今の司法制度のままで死刑制度を廃止するということは、一生償っても償いきれない罪を犯した犯罪者が、刑期を終えれば何も無かったかのように人生を謳歌することができる世の中に変えるということである。死刑廃止論者が何かと言えば唱え始める、一生かけて罪を反省させた方が死刑で終わらせてしまうよりも罰として適当だ、などと言うのは心の弱い人間にしか当てはまらない妄想である。想像するに、死刑廃止論者は心の弱い人間の集団で、自分が他人を殺害した事を想像すると、その重荷を一生背負って生きる事を考えると地獄のようだ、いっそ死んだ方が楽になるだろう、という考えで訴えているとしか思えないのだ。しかし、他人を容易に殺害できるような人間は、一生どころが翌日になれば何事もなかったかのようにこれまで通りの生活を続けられる精神的にタフな人間なのだ。そんな人間に心理的な効果を期待するのはいかにも心の弱い人間らしい、甘い考えである。
もし、死刑制度を廃止するのであれば、凶悪犯罪を起こした犯人に関しては、一生、刑務所から出してもらえない終身刑を導入するなり、出所した後にも行く先々でその人間が凶悪犯罪を起こした犯人であることが容易に把握できる仕組みを作るなりする必要があるだろう。もっとも、私は個人的には死刑は廃止してもらいたい。もしもそのような犯罪に巻き込まれた場合、犯人には自分の手で復讐しなければ気が収まらないからだ。そうすることで逆に罪に問われることになろうが、復讐が出来ればそれでいい。

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