2014/02/23

東京オリンピックに向けて日本の交通は本当に大丈夫か

2020年に開催が予定されている東京オリンピックに向けて、色々と準備を進める中、東京五輪委員長である元総理・森喜朗氏の失言?迷言?に批判が集まるなど、かなりどうでもよい(いや、責任をどうする、とか、この人でいいのか、というのは別として)事に話題が集中しているように感じる。そんな事よりも、もっと心配しなければならないのは、周辺も含めた東京の交通事情である。オリンピックを開催するとなれば、今でさえ、キャパシティをオーバーしている東京近郊の交通機関や道路は、増加する利用者でパンクすること必至であろう。

現在、東京外環道を練馬から東名まで接続する工事を進めており、2020年までに間に合わせるとしている。また、第二東名の延長や神奈川に目を転じれば国道16号と246号の立体交差事業(いわゆる町田立体)など、整備が進んでおり、問題は緩和されるのかとも思われる。しかし、東京外環道が完成したとしても、玉川から用賀までの環状八号の渋滞は解消する見込みはないし、町田立体では東名に流れ込む車列の渋滞は既に顕在化しており、立体事業が完了しても渋滞が緩和できるかは未知数である。第二東名にしても、横浜から東京までの間はどうなるのか、という課題は残ったままであろう。公共交通機関にしても、東京から羽田までのキャパシティは限界に近く、JRが検討した新線の引き込みも物理的な条件から難しい。

このままでは、東京オリンピックどころの話ではなく、海外からの訪問者を制限したり、都内への流入を規制するなど、マイナス方向での施策を打つ必要が出てくる可能性がある。無駄な公共投資は当然、抑制しなくてはならないが、必要なものを削減するのは、近い将来の課題に目を瞑っているだけで、なんの解決ももたらさない。地方は道路がないから人が来ない、と声を上げては高速道路の整備だ、新幹線の新駅だと騒ぎ立てるが、渋滞も発生していないところに高速道路や新幹線を通したところで、人口や産業の流出にしか利用されないことはこれまでの実績が物語っている。そんな無駄な投資はやめて、まずは東京に重点投資を行い、発生しているロスをなくす事を優先するべきであろう。東京がスムーズに動くことで、そこで産まれた余剰が、地方に分配されることで、日本全体が活性化していく、そういうビジョンを描ける政治家の登場を期待したい。

また、キャパシティの問題とは別に、このところ、立て続けに信頼性の問題も顕在化している。東急東横線の列車衝突に伴う、長時間の運行停止があったかと思えば、先週末には京浜東北線で工事用車両に回送列車が衝突するという事故が発生しており、月曜からの通勤時間帯への影響が懸念される事態となっている。雪の影響や人為的ミスに起因しており、鉄道そのものに問題が確認されている訳ではないが、利用者にとっては信頼性の低下以外の何ものでもなく、今後の再発防止が急がれている。キャパシティの向上を急ぐ余り、こういった安全面への配慮が低下するのは論外であり、鉄道事業者においては、より一層の信頼性・安全性の向上に、取り組んでいただきたい。

2014/02/17

「慰安婦像」焼香の米下院委員長が来日

2月17日午前、日本の岸田外相は来日中の米下院ロイス外交委員長と会談した。ロイス氏は会談で、大詰めを迎えているTPP交渉を含めて「日米がウインウインの関係を作りたい」と強調。岸田氏も「日本外交の基軸は日米同盟であり、今後あらゆるレベルで関係を深めたい」と応じたそうである。

いったい、日本の政治家や外務省の官僚どもは、何をやっているのかと問いたい。ロイス外交委員長は、米国に設置された、韓国が一方的に主張する、強制的に慰安婦として働かせられたと称する、職業売春婦の像に対して、韓国に同調して日本を非難し、日本による賠償を求める韓国の主張に従って、焼香を行ってきた、いわば反日捏造国家の片棒を担ごうとする、反日親韓米政治家の急先鋒と言っても過言ではない。そのような人物と会談しておきながら、ロイス氏の考えや行動に対して、なんら抗議も日本の主張も述べることなく、相手の言葉に同調するような受け答えだけで済ませてしまっては、日本国が韓国の非難と反日米政治家の主張を暗に認めたと取られても、仕方ないのではないのか。

日本の主張に反することについては、それが相手の考えに反する事であろうが、たいした事ではないと思われようが、正しく反論すべきことは反論し、主張すべきことは主張する、そういう行動のひとつひとつが、今の韓国による国家ぐるみの捏造と反日扇動を招いていると、なぜ分からないのか。こんな人間が国家の代表を名乗り、エリートを称して日本を動かそうとは、片腹痛い。安部総理も、どういう人物が大臣の席に座っているのかを、改めて見直した方がいいのではないのか。情けない。

2014/02/11

ピザハットの嘘

今日から3日間はハットの日で、お持ち帰りなら何種類かのピザが半額になります!という広告に釣られて、ピザハットオンラインにアクセス。

プルコギとかはちょっと重いが、チーズ&チーズ?とかいうのは美味しそうwwwと思い、Mサイズなら定価が950円なので、とりあえず何も考えずにカートに投入。さぁ、半額の475円でGET!と思いきや、なにやら注意喚起の赤い文字が。

「最低お持ち帰り価格に達していません」

なんだそれ。いくらになったら持ち帰れるとか、意味がわからない。配達するなら分かるけど、わざわざ店まで取りに行くにもかかわらず、ある金額までは持ち帰れないというのか?ふざけるな。しかもどこにもいくらになったら持ち帰れるとか表示されてない。

色々調べた結果、配達は1400円から、持ち帰りは800円からだと判明。配達の金額制限は分かるけど、なぜ持ち帰りに制限があるのだ。百均に行ったら五品以上からの購入になりますとか、有り得ないだろ。そんな消費者の利益に反するような制限があるのなら、ホームページのトップに大きく表示しろというのだ。とりあえず、カートを開いていたブラウザをそっと閉じた。

2014/02/10

良くも悪くも田母神さんは60万票

2/9に投開票が行われた東京都知事選は、大方の予想通りに自民公明の支援を受けた舛添要一が200万票を超える得票で、他の候補者に倍以上の大差をつけての圧勝となった。舛添氏のどこに期待したのかが分からないが、兎にも角にも都民の選択の結果なので素直に受け入れたい。

一方、ネット上では絶大な支持を受けていた田母神俊雄は得票数が60万票あまりと、一部の予想に反してまるでふるわなかった。いわゆるネトウヨの力を見せつける!とネット上では豪語する書き込みが散見されたが、国民に占める割合としては大して高くないか、あるいはネットでしか過激な発言が出来ない、ヘタレの集団であることを露呈した格好だ。

まあ、これで田母神さんがトップ当選してしまうようでは、日本国民は総右翼と言っても過言と言えないほどの右傾化とみなされること必至で、そういう意味では良くも悪くも冷静な結果だともいえよう。もっとも、金を持ってるジジババから取ればいいと主張していた舛添氏が福祉を掲げて当選とは、都民は一体何を見ていたのかと甚だ疑問ではあるのだが。

2014/02/07

日本の電機業界は再起動できるのか

ソニーがVAIO事業の売却を発表し、PC事業からの撤退を決断したと報道されている。今後、スマホ、タブレットに注力していくというが、果たしてこの選択は正しかったのか。さらに、米国では電子書籍事業からも撤退し、既存ユーザーは楽天傘下のkoboへの移行を進めるという。このチグハグさはなんなのか。

先進国ではスマホ、タブレットは既に普及しきって飽和状態で、今後は大きな販売台数の伸びは見込めないし、途上国向けには格安の製品がシェアを取っていくことを考えると、もはやスマホ、タブレット単体で利益をあげる事は難しいだろう。

そのため、アプリやコンテンツ販売を中心とした付加価値の部分で儲けて行くしか無いと思うのだが、ソニーは一体どこに向かおうとしているのか。もっとも、これはソニーに限った話ではなく、白物家電やテレビ事業の見直しを進めている日本の電機業界全体に言える話だ。

白物家電やテレビ事業は中国を筆頭に格安の製品に追いやられ、コンピュータ事業もAmazonなどのクラウドに攻められ、スマホ、タブレットにしても、Apple、Samsungの後塵を拝している状況で、今年度の決算が良かったからといって、何が復活だと言うのか。

スマホ、タブレットの次にくるトレンドを生み出し、市場を席巻してこそ、初めて復活と言えるのではないか。パナソニック、日立、東芝、三菱電機、富士通、日本電気には、もっと頑張れと言いたい。何をやっているのだと。

2014/02/02

来週は東京都知事選挙

東京都知事選挙が2月9日に迫っていますが、東京都民のみなさまは、候補者選びに苦労されていることでしょう。何しろ、今回の選挙で立候補している候補者で、誰が見てもまともだと自信を持って主張できる人物が見当たらない。困ってしまって今回は投票しない、なんて選択をするようでは、不幸の極みなのですが、そうしてしまっても、仕方ないのではないかと思えるほどの陣容。候補者と一般的な評価は以下のとおり。

【舛添要一(65)】
自民党推薦で一番支持されているように見えるが、政治資金規正法違反やらで辞職した前知事の出直し選挙であるにもかかわらず、政党助成金を借金の返済に使っていたことが報道されるなど、本当にこの人物でいいのかと。高齢者の福祉充実を掲げながら、以前は「金はジジババから取ればいい」などと公言しており、一貫性に大いに疑問がある。

【細川護熙(76)】
言わずと知れた元総理の殿様。なにか大きな実績があるのかと言えば、連立政権で総理大臣を務めたことがあるくらい。主張も原発反対以外には目立ったものはなく、何をやってくれるのかが分からない。そもそも、東京には原発がないのに、東京電力の大株主として反原発を推進すると言われても現実味に欠ける。だいたい、東京都が持っている東京電力の株は全体の1.2%くらい?なので、無視したければ無視されてしまう程度の影響力だと分かっていないのか?そもそも、佐川の一億円は返せばいいというものじゃないだろ。

【田母神俊雄(65)】
元航空幕僚長の肩書きと過激な発言から、保守の超鷹派だといわれることが多いが、実際に物事にあたるときは現実路線を歩むようで、ある面ではまともな人物ともいえなくもない。日本の防衛のために空母が必要だと主張したり、原発はきちんと科学的に安全が確認されているものであれば使えばいいと言ったり、現実的な発言は多いが、批判も多いのは言い方に問題があるのか?石原元都知事と同じ感じかもしれない。

【宇都宮健児(67)】
正直、この人はさっぱりわからない。前のお三方がそれなりに露出が多かったせいもあるのかもしれないが、イメージがぱっと思い浮かばない。主張としては、原発に反対、特定秘密保護法に反対、反ヘイトスピーチ団体共同代表、韓国寄りの立場で韓国からは絶賛ww、共産党が支持、とどれをとっても本当にこの人が都知事でいいのか?と首を傾げる内容が多い。

さて、この困った状況の中で、あなたに最もふさわしい都知事はこの候補だ!という、投票先を簡単に決められるチャートが話題になっている。

これを見て、自分で判断した上で、次の都知事を選択してほしい。あ、うちは横浜なので関係ありませんがね。

2014/02/01

旧日本兵が見た従軍慰安婦の正体

2014年1月に91歳で亡くなった、旧日本兵の小野田寛郎さんは、生前、韓国が主張する従軍慰安婦が日本軍に強制連行されて性的暴行を受けていたという捏造の主張に対して、激しく憤り、下記の記事を「正論」に残している。氏の意思を汲み取り、これを無かった事にしようとする輩に対抗するため、ここに全文を残したいと思う。

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私が見た従軍慰安婦の正体

「正論」一月号より

 首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない他国からの言いがかりで、多くの方々が論じているところだ。南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。

 戦後六十年、大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。

 外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上最も障害になる問題は、兵士による強姦と略奪・放火である。そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは周知の通りである。大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。

 野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は常識として知っていたが、「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。

 淫らな言葉だが、中国戦線では「ツンコ・ピー」「チョウセン・ピー」と呼んでいた筈であるが、他の人の見ている所でする筈のないことだけに、「慰安所」のことも「慰安婦」のことも、公の場で自己の見聞を正確に発表する人が少ない。あまり詳しいと「よく知ってるね」と冷笑されるのが落ちだろう。

 では何故、君は、と私に聞かれるだろうが、幸い私はその実態を外から観察出来る立場にあったから、何も臆することなく、世の誤解を解くために発表することが出来るのだ。

 ◆漢口の「慰安所」を見学

 商社員として十七歳の春、中国揚子江中流の漢口(現武漢)に渡った私は、日本軍が占領してまだ五カ月しか経っていない、言わば硝煙のにおいが残っている様な街に住むことになった。当時、漢口の街は難民区・中華区・日華区・フランス租界・日本租界・旧ドイツ租界・旧ロシア租界・旧英国租界に分かれていて地区ごとにそれぞれ事情に合った警備体制が敷かれていた。

 日華区とは日本人と中国人とが混じって住んでいる地区で、そこに住む中国人は中華区に住む者と同様「良民証」を携帯しており、そうでない者は警備上難民区に住まされていた。

難民区は日本兵も出入りを禁止されていて、私たち在留邦人は届け出て許可を得なければ出入り出来なかった。それだけ危険な場所だった。

 私は、仕事が貿易商だから、難民区以外はよく歩いた。ある日、汚れた軍服を着た兵士に「慰安所はどこか知りませんか」と路上で尋ねられ、一瞬思い当たらず戸惑った。しかし看板に黒々と「漢口特殊慰安所」と書いて壁に掲げていて、その前に歩哨と「憲兵」の腕章をつけた兵隊が立っている場所を思い出したのでその通り教えてあげた。映画館と同様に日華区にあった。汚れた軍服から推測して、作戦から帰ってきた兵士に間違いない。街を警備している兵士は、そんな汚れた軍服で外出してないからだ。

 私は「特殊慰安所」か、なるほど作戦から帰った兵士には慰安が必要だろう、小遣い銭もないだろうから無料で餅・饅頭・うどん他がサービスされるのだろうと早合点していた。

 ところが、私の知人が営む商社は日用品雑貨の他に畳の輸入もしていて、それを「慰安所」にコンドームなどと一緒に納入していたので「慰安所」の出入りが自由であった。彼に誘われて一般在留邦人が入れない場所だから、これ幸いと見学に行った。

 私たちは、憲兵に集金の用件を話してまず仕事を済ませた。日が暮れていたので「お茶っぴき」(客の無い遊女)が大勢出てきて、経営者と私たちの雑談に入ろうとしてきたが追い払われた。そこには内地人も鮮人も中国人もいた(現在、鮮人は差別用語とみなされ、使われない。しかし朝鮮半島が日本統治だった当時は「日本人、朝鮮人」などと言おうものなら彼らに猛烈に反駁された。彼らも日本人なのだからと言う理由である)。

 群がってきた彼女たちは商売熱心に私たちに媚びてきた。憲兵は特別な事情の時以外は、部屋の中まで調べに来ないからである。料金は女性の出身地によって上中下がある。また、利用時間も兵士は外出の門限が日没までだから日中に限られるが、下士官は門限が長く、将校になれば終夜利用出来る。料金も階級の上の方が割高で、女性たちは当然、同じ時間で多く稼げることになる。

 半島出身者に「コチョ(伍長─下士官)かと思ったらヘイチョウ(兵長─兵士)か」、「精神決めてトットと上がれネタン(値段)は寝間でペンキョウ(勉強)する」とか、笑うどころではない涙ぐましいまでの努力をしているのも聞いた。内地人のある娼妓は「内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働けば半年か一年で洗える」といい、中には「一日に二十七人の客の相手をした」と豪語するつわものもいた。

 ◆どこにもいなかった「性的奴隷」

 ここで親しくなった経営者の話を紹介しよう。「体力的に大差がない筈なのに、内地人は兵士たちと言葉が通じるために情が通うのか、本気でサービスして商売を忘れ健康を害してしまう。そのために送り返さねぱならず、経営者にとって利益が少ない。兵隊さんには内地人ばかりで営業するのが本当だが」と本音を漏らしていた。

 私の育った街には花柳界があったので、芸妓と酌婦をよく眼にしたが、当時は玄人女と呼ばれた彼女たちの外出姿でも一般の女性と見分けることが出来た。その目で見れば漢口の街でも同様だったが、特に朝鮮人の女たちは特色があった。というのは彼女たちは数人で外出してくるのだが、民族衣装ではなく、着慣れないツーピースの洋装のせいで着こなしが悪く、また歩き方にも特徴があって一目で見分けられた。

 彼女たちは実に明るく楽しそうだった。その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見いだせなかった。確かに、昔からの言葉に、「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で往生出来ぬ」というのがあった。明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。

 先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言うのだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた。騙された女性は本当に気の毒だが、中にはこんな話もある。「『従軍看護婦募集』と騙されて慰安婦にされた。私は高等女学校出身なのに」と兵士や下士官を涙で騙して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。またそれを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である。日本統治で日本語が通じた故の笑えない喜劇でもある。

 ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。

 当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが実情だった。私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。

 一人の兵士がそれぞれ三等分して使った訳ではないだろうが、人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、貯金を睡眠に置き換えると全く物差しで測った様な数字である。ちなみに当時の給料は兵は一カ月平均十三円程で、その三分の一を約四円として計算すると三十三万人で総額約百三十二万円になる。「零戦」など戦闘機一機の価格は三万円と言われたが、実に四十四機分にも相当する。

 サラリーマンの初任給が四十円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である。

 以上が、私が商社員として約三年半の間、外部から眺め、また聞き得た「慰安所」と「慰安婦」の実態である。

 私が漢口を去った昭和十七年夏以降に、漢口兵站(作戦軍の後方にあって車両・軍需品の前送・補給・修理・後方連絡線の確保などに任ずる機関)の副官で「慰安所」等を監督した将校の著した『漢口兵站』と照合してみたが、地名・位置等について多少の相違点は見いだしたが、本題の「慰安所」について相違はなく、より内情が詳しく記されていた。これでは誰がどう考えても「商行為」であるとしか言いようがないだろう。

「商行為」ではない、軍による「性的奴隷」であるとそれでも強弁するとすれば、知らな過ぎるのか、愚かで騙されているのか、そうでなければ関西人が冗談めかして言う「いくらか貰うてんの?」なのかもしれないが、あまりにも馬鹿げた話である。

 ◆問題にして騒ぎ出す者たちの狙い

 次に、軍関与の暴論について証言する。  私は二十歳で現役兵として入隊、直ちに中支の江西省南昌の部隊に出征した。初年兵教育が終わって作戦参加、次いで幹部候補生教育、途中また作戦と、一ケ年一度の外出も貰えずに久留米の予備士官学校に入校してしまったから、外出して「慰安所」の門を潜る機会に恵まれなかった。

 だが初年兵教育中、古い兵士には外出がある。外出の度にお土産をくれる四年兵の上等兵に「外出でありますか」と挨拶したら「オー、金が溜ったから朝鮮銀行に預金に行くんだ」と笑って返事をしてくれた。周りは周知の隠語だからクスリと笑うだけだった。

 南昌には師団司令部があった。「慰安所」には内地人も朝鮮人も中国人もいて、兵士は懐次第で相手を選んで遊んだのだろう。私は幹部候補生の教育を、南昌から三十キロ以上も離れた田舎の連隊本部で受けた。

「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて営業していた。教育の末期に候補生だけで本部の衛兵勤務につくことになった。もちろん勤務は二十四時間である。

 私は営舎係だったので歩哨に立たないから何度も歩哨を引率して巡察に出た。巡察区域の中に「慰安所」も含まれていた。前線の歩哨は常時戦闘準備をしている。兵舎内の不寝番でさえ同様だ。鉄帽を被り、銃には弾を装填し夜間はもちろん着剣である。その姿で「慰安所」の周囲だけならまだしも、屋内も巡察し、責任者の差し出す現在の利用者数の記録を確認する。軍規の維持とゲリラの奇襲攻撃を警戒しているからである。

 考えてみるまでもない、そこで遊んでいる兵士は丸腰どころではない。もっと無防備で不用心な姿の筈である。その将兵を守るべき責任は部隊にあるのは当然だ。それに性病予防の問題もある。そんな田舎に医師や病院がある筈がない。性病予防のため軍医や衛生兵が検査を実施するしかない。

 「慰安所」の経営者は中国人だったし、日本では当時公認の娼妓と呼ばれた女たちも中国人だった。彼らも食料やその他の生活用品が必要だ。大人数なのだから、それなりの輸送手段もいる。辺鄙な場所だから部隊に頼る以外方法がない。部隊が移動する時もそうなるだろう。

 私の話す湖北省の言葉もだいたい通じたので、経営者と立ち話をして彼女たちについてそれなりの様子も聞き出せた。今でも「慰安所」の両側に部屋のある中廊下を巡察した不粋な自分の姿を思い出すが、こんな漫画にもならない風景が現実にあったのだ。これは私の部隊だけではないと思う。

 もう六十年も昔のことである。時代が変わり、また平時と戦時の違いもある。したがって娼妓(ここでは慰安婦に相当する)に対する解釈も当然変化している。そうであるにもかかわらず、すでに証拠も不完全になっていることを幸いに、今更これを問題にして騒ぎ出す者たちの狙いは何なのか。言えることはただ一つ、不完全だからこそ喚き散らしていれぱ、何かが得られると狙っているということだ。

 戦場に身を曝し、敵弾の洗礼を受けた者として最後に言っておく。このことだけは確かだ。野戦に出ている軍隊は、誰が守ってくれるのだろうか。周囲がすべて敵、または敵意を抱く住民だから警戒を怠れないのだ。自分以上に強く頼れるものが他に存在するとでも言うのならまた話は別だが、自分で自分を守るしか方法はないのだ。

 軍は「慰安所」に関与したのではなく、自分たちの身を守るための行為で、それから一歩も出ていない。

「異常に多く実を結んだ果樹は枯れる前兆」で「種の保存の摂理の働き」と説明されるが、明日の命も知れぬ殺伐とした戦場の兵士たちにもこの「自然の摂理」の心理が働くと言われる。彼らに聖人君子か、禅宗の悟りを開いた法師の真似をしろと要求することが可能なのだろうか。

 現実は少ない給料の中から、その三分の一を「慰安所」に持って行ったことで証明されている。有り余った金ではなかったのだ。

「兵隊さん」と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の兵士も、やはり若い人間なのだし、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在していたのだ。買うから売るのか売るから買うのかはともかく、地球上に人が存在する限り、誰も止めることの出来ないこの行為は続くだろう。根源に人間が生存し続けるために必要とする性さがが存在するからだ。

「従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。

 「正論」一月号より