2013/10/14

霊能者が我が子を殺害・・・・であってるのか?

京都府綾部市で10月3日に、運転していた車がトラックと接触事故を起こしたあと、同乗していた男児を連れて、空き家のガラスを割って無断で侵入した男性がいる、との通報があり、駆けつけた綾部署員が付近を捜索したところ、近くの河原で男児を浅瀬にたたきつけている男を発見、殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。男児はまもなく病院で死亡が確認されたため、府警は容疑を殺人に切り替えて調べている。

この男性は京都府城陽市に在住で職業不詳の34歳で、妻と長男の3人家族だとのことで、逮捕直後は興奮して意味不明な奇声をあげており、最初は容疑を否認していたそうだが、落ち着くと「叩きつけていたのは自分の子供」だと容疑を認めたそうである。理由については、「霊が見えて、子供と車が壊れた。呪われている」などと話しており、刑事責任能力の有無についても、平行して調査を進める模様である。

まったく意味の分からない事件だ。分かっていることは起きた事象・状況以外には何も無い。
  1. 容疑者は衝突事故、器物破損、不法侵入、殺人と立て続けに犯罪を起こした。
  2. 容疑者は6年前から精神疾患で通院歴があり、事件前日も通院していた。
  3. 容疑者は既に逮捕されているが、なぜか氏名は公表されない。
  4. 容疑者はトヨタの86に乗っていた。
容疑者は霊が見えたと主張しているが、霊が本当に見えたのか、見えたふりをしているのか、霊以外のものを見間違えたのか、まったく不明であるため、霊能者であるかどうかも、いまだ特定されていない。京都だったら霊能者よりも陰陽師の方がしっくり来るのだが、霊が見える人は霊能者でいいのだろうか。 犯行理由も、原因も不明だが、京都府警の対応もよく分からない。逮捕して住所や家族構成まで確認されているのに、なぜ氏名が公表されないのか。某ネットでも特定はされていない模様で、勝手な憶測で「生活保護受給者だ」の「在日だ」のと、勝手な決め付けによる非難が高まっている。謂れの無い差別を助長しないためにも、きちんとした発表、報道を行ってもらいたいものだ。

2013/10/13

自分の身は自分で守る

東京三鷹市で起きたストーカーによって18歳の女子高生が殺害された事件だが、警察の対応に不備があったのではないのか、相談したのに加害者に電話して警告しただけで済ませたとは何事か、きちんと対応していれば防止できた、という論調が広がっているが、果たして警察にそこまでの対応を求めるべきものなのか、と考えてみたい。

確かに警察は犯罪を抑止、捜査し治安を維持するのが目的で活動しているが、だからと言って市民1人1人の安全を個別に確保してもらえると考えるのは、過剰な期待というものではないのか。例えば、企業の敷地や建物などは不審者が入ってくる可能性があり、それを防止することが求められるが、警察に不審者が徘徊しているので対処して欲しいと頼むだけで敷地内を巡回してくれるのであれば、警備会社は倒産である。

もちろん、今回のストーカー犯に対して警告したり、不法侵入した事実があれば捜査・逮捕するなりの対応をとるのは当然なのだが、被害にあっている個々人の安全を確保しなければならないのだとしたら、その対応だけで警察の対応能力はあっと言う間にパンクしてしまう。事件が起こるたびに、対応が悪い、改善しろ、法律が、と批判が集中しては、謝罪と改善の約束を繰り返しているが、一向に改善しないのは、要するに対応の限度を超えていると言う事なのだろうと思う。警察の罪は、対応できる範囲、できない範囲を明確に説明せず、批判されているからなんとなく、対応すると言ってしまっていることではないのだろうか。

亡くなられた鈴木沙彩さんは本当に気の毒でならないが、今後、こういう事件を防止するためにも、警察は個々人の安全を確保する事は出来ないことを明確にして、その部分は民間の警備会社などで対応いただく範囲になるという事を、きちんと説明してもらいたい。警備会社に依頼すれば、当然お金はかかってくるが、安全には代えられないのだと、我々市民も納得する必要があるのだろう。安全はタダでは無い、という事だ。

2013/10/12

嘘つきが得する世の中

2013年9月24日に京都八幡市で発生した、18歳の少年が運転する自動車がカーブでドリフト走行した挙句、私立八幡小学校の集団登校の列に突っ込み、いたいけな児童5人が重軽傷を負った事件で、京都地検はこの少年に対して、危険運転致傷罪の適用を断念する方針となった。理由は、少年がドリフト走行をしていた事に対して、「アクセルを踏みすぎた」などと故意性を否認しており、京都府警による再現実験を踏まえても裏付けが困難であることらしい。

「わざとじゃないんだ」

そう言うだけで許されるのであれば、何のために罰則を強化したのか、まるで意味がない。この少年が習慣的にそのような運転を行っていたのかどうか、車を調べるなり周囲から情報や証人を集めるなり、危険な運転を繰り返していたかどうかも調べずに、少年の言葉だけで断念するとは、いったいどう言う事なのか。アクセルを踏みすぎただけでドリフト走行してしまうなら、世の中、ドリフト族で溢れかえっているはずなのに、残念ながら私はドリフト走行など、出来た試しがないのはどういうことなのだろうか。

早々に、厳罰化のために制定された、危険運転致傷罪の適用要件や運用方針を見直し、このような暴挙が正しく罰せられる、嘘つきは許されない世の中にしてもらいたいものだ。