2005/02/22

ゆとりと言う名の堕落

先日、実施された学力調査の結果、日本の子供達の学力低下が明らかとなったが、これがゆとり教育の影響であることは疑いの余地もないが、ここにきて文部科学省もようやく方針の間違いを認め、ゆとり教育を見直す動きが広がってきている。それでもなお、ゆとりを誤って勉強しなくてもよい、と受けとめられてしまった、と予想外の事態のごとく言う辺りがいかにも認識不足としか言いようがないのだが、学習内容を削減して授業時間も減らせば、学力が低下するのは当たり前というものである。
そもそも、このゆとり教育の発想は、過熱する受験戦争の抑制と、授業内容についていけない子供の救済という二点から出てきたものと思うのだが、その発想自体、間違っているのではなかろうか。授業についていけない子供に対して、内容を易しくしたのではなんの解決にもならないし、飛べない子供の為にハードルを下げてやるのは単なる甘やかしであり、到底教育とは呼べない代物だ。受験戦争にしても、それ自体は悪い事だとは言えず、そもそも資本主義社会と言うのは競争して勝ち残らないといけない仕組みになっている以上、競争を経験しておくのは意味があるだろう。
私の年代はかなり受験戦争が過熱していた、と思うのだが、ゆとりがなかったとも思えない。結局のところ、子供達にゆとりが足りないと思うのは大人達の勝手な論理であり、子供の心が荒んでいくのを、自分の責任にしたくない親が、教育に責任転嫁して叫び続けた結果ではなかろうか。そのおかげで自分の子供達の年代だけ、異常に学力が低く、今後社会へ出た際に「使えない」というレッテルを貼られることになった訳だが、子供にすればこの時代に生まれた不運、しかし親からすれば自業自得というわけで、誠に哀れとしか言いようがない。

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