2008/06/21

ガラスってのは割れるんだよ

東京の小学校で、生徒がドーム型の天窓に乗ったところ、天窓が割れて生徒が落下し、死亡するというなんとも不憫な事故がおきた。学校側は陳謝し、安全でなければならないはずの学校でこのような事が発生したことを重く受け止める、ような発表を行っていた。たしかに、柵もなにもないような天窓があるのは問題無いとは言いがたいし、それを知りつつ授業の一環で屋上に立ち入らせた教師にも問題はあるのだろうが、果たしてそれだけの問題だろうか。
私が子供の頃を思い出してみれば、学校へ行く途中の川に、柵はおろか縁に段差が無い橋が掛けられていたり、子供たちが遊んでいる田んぼの真ん中に、蓋も何もされていない肥溜めがあって、たまに子供が転落したり、用水路にだって、手すりなどなく、いつ子供が転落して子供が大怪我、あるいは死亡してもおかしくないような危険はそれなりにあった。学校にだって、古くなって使わなくなったプールに水が張られて、そのまま放置されていたりと、そんな環境で育てられた子供たちは、教えられなくとも自然と、危険な場所は自分で分かるようになり、大きな事故など起きたこともなかったのだ。
それに比べて今の子供たちは、危険に対する認識能力という点で、果たして昔の子供たちに届いているのだろうか。親は少しでも危ないことから子供たちを遠ざけ、小さい頃から鉛筆など使わずにシャーペンを使うため、ナイフで鉛筆を削っては指先を傷つけ、ナイフは危ないものなのだという認識を構築する機会も与えられず、いわゆる温室のような環境で育てられた「ひ弱な」現代の子供たち。そういう脆弱な危機認識能力が、今回の事件の大きな原因と言えないだろうか。普通、ガラスの天窓があれば、そこに登ればもしかしたら割れるかもしれない、割れたら転落して大怪我をするかもしれない、そういう想像くらいは12歳にもなれば当然のごとく持ち合わせているべき能力ではないのだろうか。きっと、ボールをぶつけてガラスを割ったり、割れたガラスで指を怪我したこともなかったのではないか。そういう機会から遠ざけてきた両親や社会にこそ、原因があるのではなかろうか。
こういう、温室育ちの子供たちがこれから世界に進出し、誰も助けてくれる人がいない事に初めて気付いたとき、どういう反応を示すのか、非常に興味があると共に恐ろしくもある。まさか過保護な親が大人になってもついて来る、なんてことは無いだろうが。


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