2009/07/19

重すぎる処分ってなんなんだ

福岡市で三年前に起きた、市職員による飲酒運転事故で幼い子供3名が死亡した事件を始め、相次ぐ飲酒運転死亡事故に端を発した、厳罰化の流れが司法によって遮られようとしている。
各自治体では、飲酒運転を起こした職員については、懲戒処分とする方針が広がっており、飲酒運転の撲滅を目指して厳罰化に向かっている中、実際に飲酒運転で検挙された職員に対して懲戒処分を下したところ、裁判で争った結果、懲戒処分は「重過ぎる」として取り消す判決が相次いでいるというのだ。
自治体の方針として、厳罰で臨むことで飲酒運転を撲滅していこうというものがあるのだが、それをなぜ司法が遮ろうとするのか。例えば、他人に押さえつけられて無理矢理酒を飲まされたあげく、前後不覚のまま車に押し込められて運転してしまった、などというのであれば、本人の意思に反した飲酒運転であろうから、懲戒免職とするのは重すぎる、というのは分かる。しかし、自らの意思で、運転するのが分かっていながら酒を飲み、飲酒運転を行ったことの一体どこに処分を「重すぎる」と判断する理由があるというのか。
個別の事情を検討して、判決を下していると言うが、運転しているのが分かっていながら、酒を飲まざるを得ない状況だったというのはありえない話である。酒を少しくらい飲んでも大丈夫だろう、このくらいならバレることはないだろう、そういう高を括った判断を下して飲酒運転をしていることに対して、なんら情状酌量の余地などないのは明白である。飲酒ひき逃げ事故で次男の命を奪われた、現「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」共同代表の佐藤悦子さんは憤る。
「命を奪うかもしれない危険な行為をしておきながら、『処分が過酷』とはどういうことか。福岡市の事故から3年たった最近の司法判断は、のど元過ぎれば何とやらという印象だ。厳罰化の勢いが弱まれば、悲劇が繰り返される」
まさしくそのとおり。飲酒運転事故の裁判に対しても、いや、こういう自発的に行っていることが明らかな犯罪にこそ、裁判員制度の適用を求めたいものだ。

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