2009/04/01

犯罪者の免罪符

凶悪事件と言う奴は、ここ最近になって起きるようになった訳ではなく、昔から件数の大小はあったにせよ、発生していたのだと思う。なぜなら、公平性を保つために過去の判例を参考に刑罰の重さを判断している以上、動機はともかく、類似の事件は起きていたと考えるのが妥当だろう。死体をバラバラにしてトイレに流す、なんて言うのは斬新だが、いたずら目的で拉致・監禁した挙げ句に殺害に及ぶというのは、古今東西でよく耳にする類の事件だろう。
最近の傾向で奇異を禁じ得ないのは、なにかと言うと精神鑑定を求めては、責任能力の欠如を楯にして、刑罰の軽減もしくは無罪を主張する弁護姿勢である。まるで免罪符を与えられていると言わんばかりに、猫も杓子も精神鑑定と責任能力欠如のオンパレードだ。
一番、納得がいかないのは、精神鑑定の結果、責任能力がないと診断されると、犯した罪を償う責務を免れることだ。なぜ加害者に責任能力がないからといって、被害者が泣き寝入りを強いられなければならないのか。討論番組や司法制度改革の議論の中で、その点が全く無視されて取り上げられていないのに、なぜ誰も異を唱えないのか。
今の制度は、犯罪を犯しても罪を問われない、免罪符を手にした人間が、大手を振って街中を闊歩しているのと同じである。周囲に、責任能力が欠如しているのではないかと疑われる人間がいた場合、その人間に何をされても非難することも出来ず、泣き寝入りするしかないかと思うと、とてもそのような人間とは恐ろしくて側にいることすらできないだろう。
今のまま、責任能力の欠如を理由に刑罰の免除を続けるのなら、責任能力を疑われる人間は世間から隔離して、善良な市民が犯罪に巻き込まれる事を防止してもらいたいものだ。新しい活動を始めて、世の中に問題意識を喚起する必要があるのかもしれないな。
「責任能力欠如者を隔離する会」

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