2006/03/28

死は人間の尊厳を救い得るか

ここ最近、富山の外科医が意識不明の患者に対して、家族の同意無しに安楽死させたのではないか、と言う疑惑が持ち上がり、現在捜査当局が調査を進めている事に関する報道で持ちきりとなっている。おかげさまで世間の関心は全てそちらに向けられてしまい、ライブドアの粉飾決算や堀江メールといった問題は忘れ去られてしまったらしく、気がつけばライブドアの株価は120円まで回復している。今の価格で売却すれば、先日フジテレビから購入したばかりのUSENは濡れ手に粟と言える。(もっとも、買う人がいればの話だが・・・)
さて、件の患者の安楽死に話を戻すが、問題となっている医者が人工呼吸器を外した事が殺人にあたるのかどうか、患者本人または家族に意志の確認があったかどうかは、外科医本人に依存した問題であるし、安楽死を規定する法律が制定されていない問題も、立法府の怠慢以外のなにものでも無いので、今更の議論は無意味である。本質的な問題は、安楽死が患者の尊厳を維持し得るか、その部分につきる。安楽死を与えられる患者の尊厳は果たして守られているのだろうか。
答えはNOである。安楽死に至った患者は本人の意志とは関係なく、人間としてではなく1個の生体として、生命活動を停止させられるだけで、そこには尊厳と言う概念の登場する幕は無い。例えは悪いが、火曜日になったので、台所のゴミを収集所に持っていくのと、やっていることは変わらない。では人間の尊厳とはなんなのか?
それは自分の生き様、死に様を自分で選択すると言う事だろう。自分がいつ死ぬかは、他でもない、自分で選択すると言うことだ。そういう意味では、本人の意志に基づく安楽死は、尊厳を守ったと言って差し支えないだろう。突然の事故で意識不明のままとなった場合を想定し、その場合の処置は周囲にキチンと話しておきたいものだ。

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