2006/03/25

自転車の放置プレイもたいがいに

たまたま所用で出掛けていたところ、ちょうどお昼時にK崎駅に着いたもので、たまにはいつもと違う処でランチと洒落込もうかと、あまり馴染みのないK崎駅周辺を散策してみた。
まず最初に断っておくが、私はK崎という町はあまり好きではなく、それと言うのも町全体で汚れて荒んだ雰囲気を醸し出している上に、K崎市を縦断して走るいかにも中古の、他の路線では使用に耐えない車両を活用しているとしか思えない、加減速のたびに車体全体が軋むような、JRN武線沿線の見るからに貧困層が居住しているとしか思えない街並みが、そこを通る度に私を憂鬱にさせるからだ。
??崎駅から続く地下街を抜け、商店街を特に行く当てもなく歩いていた私の目にありえない光景か飛び込んできた。その商店街はアーケードも備えた、それなりに道幅もある立派な通りだったのだが、その通りの真ん中に何十台という自転車が止められていたのだ。もちろん、そこは駐輪場などでは有り得なく、あろう事か無断駐車を禁止する旨の看板まで立てられているにも関わらず、所狭しと自転車が並んでいるのだ。これが駅前の道端であったりしたら、さして驚くに値しないのだが、人通りの絶えない商店街のド真ん中に並べてしまうとは恐れ入ってしまった。さすがはゴミの町、K崎の面目躍如とでも讃えればよいのだろうか。やはり、薄汚い町に住むのは所詮心の持ち様も薄汚い連中と言う事なのか。
だいたい、K崎のゴミ収集車などに描かれている、キャッチコピーも非常に情けないもので、見るたびになんだか可哀相な気分になってくる。
「好きです、きれいなK崎」
おいおい、公害の代表みたいな町だというのに、事もあろうに「きれいな」とは大きく出るにしても、ものには限度というものがあろうというものだ。ゴミのポイ捨てをやめよう、とか自転車の放置をやめよう、とか問題がありすぎて何から手をつけていいのか分からない、というのも理解できるが、汚いものを言葉だけできれいにすることはできないのだから、せめて「きれいにしよう」ぐらいにとどめておいて欲しいものだ。

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