2012/04/11

破綻しているキリスト教徒のSEが

最近、もしかしたら将来的に日本から出て行かなければならない、たとえば消費税が高くなって、でも相変わらず無駄な公共投資ばかり行って、生活は困窮して、到底人間らしい暮らしをできなくなったり、福島の放射線量が言われているよりもずっと高く、延々と垂れ流した挙句、日本国内で居住可能な地域が激減してそもそも生きていけなくなってしまったり、そういうことが起こった場合に備えて、英語の勉強を始めた。どこのサイトだったか、聖書で英語を学ぶのが非常によくて、世界で一番読まれている書物であるので、まず間違いがないのと、欧米人の考え方も感じることができる、というので、それを使って勉強を始めた。もちろん、聞いていてもさっぱり分からないしついていけない。それでも、長期間聞き続けることで分かるようになるという話なので、よく分からないまま続けてみる。

そんな中、聖書の要約くらいは知っておかないと、ぜんぜん分からないと思い、ネットで聖書についての説明をあちこち見ていると、「SEによるキリスト教入門」なるサイトを発見した。個人がやっているBlog形式のものだが、その中で聖書とキリスト教についての見解?的なものが載っていて、とりあえずキリスト教素人の私が読んでみた。その中で、オイオイというものがいくつかあったのでここで紹介したい。

ひとつめは、神がいるか、という問題をキリスト教的に説明したものである。ここでSEを名乗る筆者は、プログラムに例えて、目的を持って生まれたものは作成者がいる、という論理を展開する。つまり、人間を作ったのが神だとすると、人間には生まれた目的があり、目的があるということは、それを作ったもの=神が存在する、という論理である。それはいい。確かに一見すると、この論理には特に矛盾はない。しかし、根本的な問題があるのだが、それには筆者はひとことも触れていない。

説明では、「あなたには生きる目的があるでしょうか?」という問いかけから始まる。ここで、前述のプログラムの例えが出てくるのだが、目的を持って生まれてきた人間には、それを作り出したものがいるはずだ、と展開される。その説明を繰り返すうちに、進化論では目的は無いことになっているが、人間は生きる目的を持てる、なぜ目的を持てるかというと、神が人間を創ったから、ということになります。しかし、ここには大きな矛盾があります。プログラムは、作る段階で目的が決まっていて、その目的のために作られるのだから、もちろん作成者がいます。しかし、人間の生きる目的というのは、あとから決まるものであって、それは極端に言ってしまえば、道端に落ちている石ころを拾ってきて、獲物を倒す目的で投げつける、その程度のものと大差ありません。

ふたつめは、キリスト教を否定する前に、ちゃんとキリスト教を知っているか考えましょう、というものである。キリスト教を排他的な宗教で(要は他の宗教を認めない)、許せないという人に対して、じゃあ、あなたのお父さんは1人だけであって、他のおじさんがお父さんでないのは悪いことなのか、と比較するのがおかしいような論理を持ち出して、最終的に、排他的なことを真摯に議論しようという人はいなくて、許せないということを言いたいだけの人ばかりだ、と結論付ける。もう、滅茶苦茶である。神が1人だと言ってるのを問題だと言ってるんじゃなくて、その神を他人に押し付けるのが問題だっつーの。

キリスト教は聖書の神以外を神と認めない、と言いつつ、それが排他的であるが何が悪いのか、とまで言い、他の宗教を弾圧したり、植民地に宣教師を送り込んで奴隷を狩り集めて、搾取してきたことについては触れず仕舞い。それはキリスト教の悪い側面のひとつだとしても、なぜ他の神を否定するのか、ということに対しては何ら答えることなく、批判する人間を悪者扱いするばかり。これでキリスト教を、イエスを信じよう、などと言われても、それは無理というものであろう。結局、この人の説明は、キリスト教の妄信者の域を出ず、ただ単純に自分が信じてしまったことを書いている、それだけのもので、なんら疑問点を解決することはなかった。プログラムが出てきたところで、「なんだ?」と思ってしまったが、これでコロリと引っかかって、神を信じるような人は、新興宗教あたりを信じるのが分相応というものだろう。このがっかり感をどうしてくれる。ま、神を試すな、試したらいないってばれるだろ、って言うような宗教だからね。


2 件のコメント:

  1. 初めまして。「SEによるキリスト教入門」の管理者のねりまんです。最近この記事を見つけ、読ませていただきました。まずは私のブログを丁寧に読んでくださり、ありがとうございます。おわかりのように、私のブログはキリスト教や聖書についてクリスチャンの立場から解説しています。ですから貴殿のような、聖書に関心を持ち、いったい聖書にはどんなことが書いてあるのかという疑問を持つ方に読んでいただけたことは大変幸いに存じます。私の記事が不十分なため内容にご納得いただけなかったようで、申し訳なく思います。貴殿の疑問ももっともかと思いますし、できればもう少し膝を付き合わせて記事の趣旨をご説明できれば、お互いに有益なのではないかと思います。これについてまだ関心をお持ちであれば、またご迷惑でなければ、このコメント欄でやり取りさせていただければと思います。

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  2. わざわざご丁寧にコメントをいただきありがとうございます。また、勝手にリンクしてしまい申し訳ありません。
    私の理解が足らないのかなぁとも思い、英語版で聖書を読んでいるところですが、一般的な感覚で言えばキリストは何とも傲岸不遜で、そりゃこれでは神の子とでも言わなければ収まりがつかないというのも分かりますが、普通の庶民の感覚では受け入れにくい部分が多いのも事実です。たとえば、神の話を信じなかった、ヨハネの父はしゃべれなくされているけど、だったら、私の口も閉じさせてみろってんだ、みたいな。
    否定するにも肯定するにも、学ばなければ話にならないので、これからも勉強はしていきたいところです。

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