2010/09/11

過去の因縁を断ち切った

先日、8月の終わりに、ブログサイトをNiftyのココログから、google提供のBloggerに乗り換えたのだが、それに伴い、旧NiftyServeから数えて20年近くも利用してきた、@niftyに別れを告げた。月々数百円の会費だったので、気にしたこともなかったのだが、先月末に発生したココログの障害を機に、長年利用してきたというだけの、惰性で続けてきた契約をついに破棄することとなったわけである。

それに続いて今度は、15年以上に渡って、旧IDOから使い続けてきたauとの因縁を断ち切り、docomoに乗り換えを成し遂げた。長年、使い続けてきたブランドを捨て去るというのは、かなり思い悩むときもあったのだが、その発端は、auが6月に提供してきたスマートフォン、いわゆるIS01/02の出来が、あまりに酷かったというところにまで遡る。そのころ、世間がiPhoneだXperiaだと、スマートフォンに盛り上がっている中、auだけは蚊帳の外でユーザーは長いこと陰湿な嫉妬心を抱かせ続けられていたのだが、ついにauのユーザーも、大手を振って世間を歩けるようになると大いなる期待をしていたのだ。

それが蓋を開けてみると、2つの機種はタイプこそ違えど、どちらもキーボードを搭載しており、あろうことか、期待のAndroid端末に至っては、超小型のノートPC並みの大きさに加えて、イヤホンマイクを装着しなければ通話もできないという、そもそも電話ですらない代物であったのだ。それを見た瞬間、私の心の中では某掲示板に書かれていた「auオワタ」というフレーズが鳴り響いたものだ。

で、先日のことだが、町を歩いていると、なぜか暫く前まで2万円もしていたdocomoのスマートフォンが半額以下に値下げして販売されており、一応家族にも相談した上で、15分後にはauを見限ってdocomoに乗り換えるという決断を下していたのだ。思えば、docomoの端末を利用するのは、8年振りくらいで、なにもかもが懐かしく感じられるほどだったのだが(by沖田)、その間に世間から大きく周回遅れとなってしまった私のモバイル生活を、なんとかこれから世間並みに引き上げていかねばならない責任感が芽生えてきた。それは、ある意味、こういうことだ。

”Appleなんか、ぶっとばせ!”

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